あまりにも暑い日が続きますので、少しでも涼しくなる話題をお届けします。

 学校沿革史を見ていて、1981(昭和56)年11月26日に「スキー場整備 北斜面」との記事を見つけました。

 以前は雪が多くて、学校の敷地内でスキーの授業をすることは他の学校でもよくあることでした。会見二小のアルバムを見ると、現在でも続いている大山での親子スキー教室の写真と一緒に、学校周りでスキーを履いている写真が残っています。

 1981年度のアルバムに、その「北側斜面」スキー場らしき写真を見つけました。この当時は、まだ現在のグラウンドは造成されておらず、高さ10メートルの丘でした。その北側になるのでしょうか。結構な急斜面に先生と子どもたちの姿があります。
 その少し後、1985(昭和59)年度の学校文集「さわらび」に保護者がスキー場の整備について原稿を寄せておられます。
「12月2日、スキー場の整備作業に部落の出役で久方ぶりに学校に足を運びました。教育委員さん、ご父兄、池野、鶴田両区総勢15・6人、朝8時30分に学校に集合いたしました。(中略)朝より冷たい雨に成り、やがてみぞれ混じりの雨の中現場に向かいました。(中略)余りにも急な斜面、それにスゴイ一面のカズラの山、はじめはどうなることかと驚き、もっぱら男の方は草刈機で、女は鎌で一生懸命片付けました。(中略)こんな急な斜面を子どもが滑れるのかしら…と驚くばかりでした。教頭先生の話では、低学年では少し無理かなと思うこともあるけれど、5・6年生になるまでには、うまく滑走ができるようになるとのことでした。」