8月24日(水)、今日から2学期の給食がスタートします。そこで、会見二小の給食の歴史を振り返ってみました。

 戦後、児童の栄養状態は大変悪く、学校給食の実施は喫緊の課題でしたが、1954(昭和29)年に学校教育法ができた当時の鳥取県内の実施率は、完全、捕食あわせても22%にとどまっていたようです。(「鳥取県教育史 戦後編」)

 旧会見町では1963(昭和38)年10月、南部中学校に会見町立学校給食センターが完成し、完全給食が始められます。しかし、会見二小(当時 会見町立賀野第二小)は給食の運搬の問題から給食の実施が難しく、児童の体位体力の養成対策として、ミルク給食(冬期には味噌汁給食)を実施していました。

 完全給食が始まったのは1965(昭和40)年7月5日のことでした。

「両区民・児童たちの願いがかなって、本日より完全給食が実施されることになった。ただし、センターからの搬送はなく、毎日父兄(原文のまま)の輪番による搬送を続けた。そして、この状態かが昭和42年まで続いたが、その後、当局の理解と努力によって、給食センターから毎日搬送されるようになった。そしてこの給食のおかげで、会見第二小学校の児童の体位も次第に向上していったのである。」

 保護者が約8キロの道のりをテイラーで運搬するという努力を2年間も続けられたようです。子どもたちのために大変な苦労も厭わない保護者、地域のみなさんの姿を想像しながら毎日の給食をいただきたいと思います。