前回お伝えしたように、初代校長 妹尾千代次郎先生は29年間も地元、池野・鶴田の子どもたちのために尽くされました。教員は妹尾先生お一人の時や代用教員(今の非常勤講師?)の二人体制のときもあったようです。

 100周年記念誌より、妹尾先生の思い出を抜粋します。
 1920(大正9)年度卒業生の思い出です。「当時の先生は妹尾千代次郎校長と代用教員の女先生の二人きりでした。授業も複々式授業で同時授業でした。修身、習字等は全員同時に、算数と読書は複式でという教育方法でした。こんな勉強をしながらでも優秀な人が二校(二小)から出ておられることは、努力次第で人間の運は開けるものだと信じます。」

 1925(昭和2)年度卒業生の思い出です。「尋常小学校1年生として入学した大正11年には、児童数は1年から6年までで32〜33人と記憶している。先生は妹尾千代次郎先生唯一人。先生は竹の鞭を常に手にして全くのスパルタ教育で、科目も専ら「読・書・ソロバン(算数)」、それに修身という人間造りに最も重点的なものだったと思っている。先生は既に70歳以上の老齢で、脚が少し不自由であったが、着物に袴姿の厳格な全く恐ろしい先生であったと記憶している。」

 30人をこえる児童のいる学校をお一人ですべて運営されていたようで、そのご苦労は想像を絶するものがあります。そして、その教えを受けたみなさんがこの地域を作り、そして更に広い社会で活躍されたということです。