終戦当時の会見第二小学校 ~100周年記念誌より~
本日、8月15日は太平洋戦争が終わって77年目の終戦記念日です。
会見二小の前身、池野尋常小学校は1941(昭和16)年4月1日、国民学校令により賀野第二国民学校と名前を変えます。その年の2月8日に宣戦布告をし、太平洋戦争がはじまりました。学校教育の場も戦争一色となっていったのでした。終戦を迎える1945(昭和20)年8月15日までの間は、実に長く苦しい時代であったと思います。
100周年記念誌に終戦の日を過ごした卒業生の思い出が載っています。
(前略)「やがて敗戦となり、天皇陛下の終戦の言葉がラジオから流れた時は、子ども心にも涙を流し、声をあげて泣いたものだった。それからは学校へ行っても、何日も墨をすっては教科書にぬった。何冊も本を焼いた。その心の不安と情けなさと戦争への憤りは現代の人には理解できないかもしれない。煤だらけの炊事場の横に猫の額ほどの花壇があり、たんねんに植えた草花に水をやり、小さな赤泥の校庭で飛び廻り、自然を愛し、人を愛する事の尊さを悟りはじめた私達は、その育まれた心の温もりを終生持ち続ける事でしょう。」(後略)
1945(昭和20)年9月13日、ようやく全校平常授業ができるようになりました。この日が戦後の教育の始まった記念すべき日となりました。
写真は終戦当時の校長であった 三鴨義雄先生(第6代 1944.4〜1947.3)です。